せみ

久しぶりに来ました。
アブラゼミが鳴いています。
ブランコ、砂場やすべり台、木漏れ日の公園。
 しかし
主人公のいない、からっぽの舞台です。

今回放射線量の測定でまず始めに多くの地域で公園の放射線量が測定されました。今まであまり考えませんでしたが子供たちが元気で自由に遊べる公園というのは、私たちがもっとも 汚されたくはない 守らなくてはならない聖地だったのかもしれません。

私たちが子供の頃 田舎の町はそれ自体がまるで テーマパークのようでした。町中はもちろん山でも川でもたんぼも畑も駆け回りました。
『三丁目の夕日』の世代です。

今の子供たちに残された わずかな スペース公園。
   とりもどさなくてはなりません
  私たちにできることはささやかな 聖地の奪回です。


[リンゴ園]

もしいとわずに 長い生涯をかけて
ただ 一つのことを願いながら
成長して黙っているならば

 どんなにして、 たぐいなく豊かな収穫を、
なおも持ちささえて、
ひきわたすことが できるかと

     石丸静雄訳《 リルケ 》


葉っぱ


『友人T。祝い膳』

  食材を集め少しずつ割烹料理を再開しました。
  当初思いがけないことに、オーダーの多くがお祝いのお膳でした。

私の友人たちの子供たちも多くが20代になり、
 そろそろ皆さんお祝いの話しも少しずつでてきました。
嫁ぐ者、向かえる者、親同士の初めての顔合わせなど
  3月から5月にかけて、若者たちにも様々な予定があったようです。
  震災でそれらがすべて延期になりとくに相手側が遠方の場合など
   気をもんだのは むしろ 親のほうでした。

   娘の祝宴を終え T氏が言います
  『おやじたち、焼いたばかりだけれど、
孫のお祝いだもん、喜んでくれてっぺ』

      勿論そうだと思います。

ワイン


  外国のメディアは今回印象に残った日本人の言葉として
『我慢』と『しょうがない』をあげているそうです。
 まさかのありえないことが あって、
あって 当たり前のものが一瞬にして なくなりました。
 あまりに大きな災害を前にしょうがないと思うことはまさにしょうがないことでしょう
 しかしこの言葉 原発周辺の私たちの地域では聞いたことがありません

  地震と津波で甚大な被害を受けた福島県浜通りはあの瞬間に空白の地域ができました
 安否の知れぬ親や子供たちを残しての国の指示による強制的な避難。
大熊町の夫婦は、立ち入り禁止区域の前で制止する警備員に
『私たちはどんなに放射能を浴びてもかまわないから家族を探しに中に入れてくれ』と懇願していました 

  浪江・双葉・大熊・富岡・ 
 すくなくても地域の住人や家族だけでも区域内に入り捜索することができたならば、
      がれきに必死で捕まっていた誰かを
      わずかな高台で、ふるえていた誰かを
    かすかな命を救えたはずです 切れずにすんだ家族の糸はあったはずです。
 目に見えぬ放射能による、もの言えぬ失われた命はすでにあるのです。
 国による現場での捜索活動がおこなわれたのはそれから数ケ月後のことでした。

  多くの人が原発は人災だと言います
  だとしたらはたしてこれが人が人に対してできることでしょうか。
  
  
    考え方をかえましょう

   もしこれらが人災ならば幸いと思いましょう
我々が招いた災害ならば二度と起こさないことは必ずできるはずです。
我々の手で

うさぎ






スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

辛いことしか見えなくて、
楽しいこと嬉しいことが
見えなくなってしまうのは、
すごく悲しいことだよね。

今だからこそ、
嬉しいこと楽しいこと
一つ一つを大切に
していきたいですね!!
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR