「 行政区1」
次々に入るテレビやラジオからの報道。
昔から地図好きの私は被災地の地名を聞いてとまどいました。
東松島市 南三陸町 宮古市田老地区ん?…。

三陸はコバルトブルーの海の色 リアス式海岸の美しさに何度もドライブしたものでした。

そうか 矢本と鳴瀬 で東松島市 志津川と歌津で 南三陸町 田老は宮古と合併したのかと。 様々なメリットがあり平成の大合併があったのでしょうが、今回のような災害の場合は 各地区ごとに 被害の規模や種類も違うはず。行政区が小さいほど それに応じた対応がとりやすいことも あるのではと思います。

    「行政区2」 
 さて、福島県南相馬市。ここは南から小高町、原町市、鹿島町の三つの町が2006年に合併。
おおよそで分けると
今回旧小高町の多くは原発から20キロ圏内で避難地域。
旧原町市の多くが30キロ圏内緊急時避難準備区域。
旧鹿島町はとくに規制はなし。一つの市内で規制が別れることは、より対応を困難にしてることは 確です。



灯りのきえた浜辺から 
  まっすぐに 銀河がのぼります

   
 

    「かげ膳」
  地方によって 呼び名は違うのかもしれませんが、法要の後の食事会で 亡くなった方の分も料理をつくり遺影のとなりに捧げることがあります。これをこの辺では 『かげ膳』といいます。
ごくごく身内だけ10人ほどの法要がありました。かげ膳が三つのオーダーです。そのうち一つは子供用、だそうでした。 日頃賑やかな厨房もその日は みんな無言でした。
     kosumo.jpg
 

    『狂ったデッサン3』
 新地町釣師、相馬市原釜、相馬市磯部。 
海沿いに絵を描く仲間が何人かいます。家とともに描きためた多くの油彩やデッサンが流されました。
みじかな仲間たちの絵ががれきの中で朽ちていくのは 残念です。積み上げればガレキでしょうが、一つ一つはそれぞれの大切な作品でした。彼等はいったい これから なにを描き始めるのでしょうか


 私たちは 後遺症も考えずに 
  薬を飲み続けました
 気持ちよく ふわふわしました 
  


 ………ゆらぐ………

かつてあった 『大地』という 観念がゆらいでいます。

エメラルドに輝く水の惑星
 もちろん 100年とか 200年とか私たちの寿命をもとにした単位で考えれば 非常にに希な災害でしょう。
しかし太陽系第三惑星。海が山になり山が海になる大陸大移動で今の世界地図ができたとそすれば 惑星における自然な活動の一部であるのでしょう。
1000年に一度なら古代より縄文や弥生人にも繰り返し起きていたのでしょう。

もともと自然界を想定するなど私たちの能力を越えてはいないでしょうか。大型台風、竜巻、1000ミリを越える降水量、M9、震度7。しかし果たしてそれらが上限なのでしょうか

私の母はよく『人間なんてなにか大きな動物の背中の上でくらしてるようなものよ』 と言います。私たちはそもそも奇跡が連続して生まれ存在。
まさに生きた惑星での生活はそんなものかもしれません。

三春の玄侑氏は震災後のインタビューで 『我々はこの世を仮の住まいと自覚したのだろう』と言っていました。

我々はもともと水面にただよう"あし"でしたか。

足元の不安定さにめまいを覚えます。 続く余震の中で確に地面が柔らかくなったような 靴の底の感触がありました。足元がぬかるみ地面がやわらかいのです。


住居によって住み方は違うはずです。前提となる条件から見直さなくてはならないのでしょうか。この惑星に住人として住まうのならば、みずから閉じるすべを知らない パンドラは開くべきではなかったはずです。
たりなかったのは自然に対する謙虚さと我々の自覚だったのかもしれません。

かつてあった 『大地』という 観念がゆらいでいます。

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